皆さんにとって、補習校とはいったいどのような場所なのでしょう。
私はミシガンで生まれ育ち、小学校1年からデトロイトりんご会補習校に通っています。当時の私にとって、補習校はただの「場所」でした。姉も通っていた場所であり、自分も行くのが当たり前なものと思っていたのでしょうか。そのせいか補習校で過ごした小学校時代の記憶はほとんどありません。たいしたやる気があるわけでもなく、とくに行くのが好きなわけでもなければ嫌いなわけでもなく。ただなんとなく通っていただけでした。
そんなカラッポな自分が変わったのは小学校6年の時です。勉強をするのが楽しくなり、友達といることも楽しく、補習校という場所が好きになり始めたのです。勉強面では何故だかテストで良い点がとれるようになり、それまで気にもしていなかった毎週の漢字テストの勉強もちゃんとするようになりました。何が私をこのように変えたのでしょう。ちょうどその頃電子辞書を買ってもらっただとかインターネットが使えるようになっただとか、色々な要素は思い浮かびますがハッキリしたものはありません。あえて言えば、友達が大きな存在だったのだと思います。仲の良い友達がふえたことによって負けてられないというような心もわきますし、良い意味で刺激になったのでしょう。
中学に上がってからの1年目はモヤモヤな年でした。友達とクラスが離れてしまい、新任の先生とともにまったく新しい環境での1年は正直あまり楽しいものではありませんでした。それでも自分なりに頑張って、新しいクラスに馴染みながら、進んで何かをやることを身につけ始めました。
2年生は、私の長年の補習校生活の中でも充実した年でした。クラスの中でも自分から進んで発言をしたり問題に答えたりするようになり、一歩成長した自分に自信をもつようになったのです。この年担任であった先生ともとても良い関係を築くことが出来ました。先生は私達生徒のことをいつもしっかり見ていてくれて、褒める時は思いっきり褒めて、叱るときはキッパリ叱って下さいました。そんな先生は私に色んな勇気を与えてくれました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
中学最後の年は、私が本気で補習校をやめようかと考えた年です。1学期に長期間休んだ間の友達とのギャップを感じてしまったりする中、クラスも崩壊気味で、放課後は必ずと言っていいほど頭痛に悩まされていました。その年はいまいち気の合わない先生も多くて自分の存在すらを否定されている気分になって毎週補習校に来るのが苦痛で、辛かったです。ちょうどその頃、長年のアメリカ生活のせいか自分の日本語がモヤモヤになっていて日本語よりも英語のほうが楽になっていた自分にイライラしていた部分もありました。でも今やめてしまったらきっと自分は日本語を忘れてしまう。そんな恐怖と、高校に上がれば変わるはずだと信じ、私は退学届けに触れることはありませんでした。
高校になってからは基本的に毎週楽しいようになりました。しかしまたしてもクラスが少し崩壊気味になったりして、いよいよ補習校に来ている意味が少しわからなりました。でもこの時の私には「真面目に授業がしたいんだ」という心があり、みんなにやる気がないのならとりあえず自分だけでもと思い好き勝手やっていました。半分当てつけのような部分もありましたが、とりあえず先生と友達になって、精一杯授業を楽しもうと心掛けました。
2年生になってからの補習校生活は最高です。正直、楽しすぎるくらいです。補習校は今や私にとってとても大切でかかせない場となりました。補習校は「私の世界を広げてくれる場」です。自分の母国語である日本語を使い学び、ありのままの自分でいられる場所です。
勉強にとどまらず補習校では大切な「人との掛かり合い」も学ぶことが出来ます。補習校に長年通っている人もそうでない人もわかると思いますが、補習校では出会いと別れの繰り返しです。小学1年生の時からこの補習校に通い続けている人数はごくわずかです。今クラスを見回しても、ほとんどの人はつい最近知り合った人たちばかりです。でもそんな中でも私達はみんな仲良しで、先生方ももちろん、とても良い人間関係が出来上がっています。これは私の「うちの補習校自慢」です。みんな仲良しであり、そして生徒にとどまらず先生方とも良い関係をもてます。戸塚先生を始め、北垣先生、佐藤先生、廣川先生、そして今回の交流学習をともにすることの出来なかった山本先生、北村先生、堀口先生、皆様に感謝したいと思います。そしてそんな場所に行かせてくれて、影からいつも私達をサポートしていてくれる両親にも感謝します。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
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ぃゃ、かなりこっぱずかしい。
わざわざ自分の親にも隠しているようなもんだからね。
どのみち読まれてしまったらしいけど。(爆)
でも真面目に何がそんなに良いのかわからない。
なんで先生たちはこのスピーチをそんなに気に入ってるの?
ただのお世辞?おだて?まじ意味不明だから。
誰かわかる人いたら教えて下さいよ。(爆爆)
このスピーチにかんして困った事;
今はさっぱりこんなこと思ってもないって事・・・。(爆)
私はミシガンで生まれ育ち、小学校1年からデトロイトりんご会補習校に通っています。当時の私にとって、補習校はただの「場所」でした。姉も通っていた場所であり、自分も行くのが当たり前なものと思っていたのでしょうか。そのせいか補習校で過ごした小学校時代の記憶はほとんどありません。たいしたやる気があるわけでもなく、とくに行くのが好きなわけでもなければ嫌いなわけでもなく。ただなんとなく通っていただけでした。
そんなカラッポな自分が変わったのは小学校6年の時です。勉強をするのが楽しくなり、友達といることも楽しく、補習校という場所が好きになり始めたのです。勉強面では何故だかテストで良い点がとれるようになり、それまで気にもしていなかった毎週の漢字テストの勉強もちゃんとするようになりました。何が私をこのように変えたのでしょう。ちょうどその頃電子辞書を買ってもらっただとかインターネットが使えるようになっただとか、色々な要素は思い浮かびますがハッキリしたものはありません。あえて言えば、友達が大きな存在だったのだと思います。仲の良い友達がふえたことによって負けてられないというような心もわきますし、良い意味で刺激になったのでしょう。
中学に上がってからの1年目はモヤモヤな年でした。友達とクラスが離れてしまい、新任の先生とともにまったく新しい環境での1年は正直あまり楽しいものではありませんでした。それでも自分なりに頑張って、新しいクラスに馴染みながら、進んで何かをやることを身につけ始めました。
2年生は、私の長年の補習校生活の中でも充実した年でした。クラスの中でも自分から進んで発言をしたり問題に答えたりするようになり、一歩成長した自分に自信をもつようになったのです。この年担任であった先生ともとても良い関係を築くことが出来ました。先生は私達生徒のことをいつもしっかり見ていてくれて、褒める時は思いっきり褒めて、叱るときはキッパリ叱って下さいました。そんな先生は私に色んな勇気を与えてくれました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
中学最後の年は、私が本気で補習校をやめようかと考えた年です。1学期に長期間休んだ間の友達とのギャップを感じてしまったりする中、クラスも崩壊気味で、放課後は必ずと言っていいほど頭痛に悩まされていました。その年はいまいち気の合わない先生も多くて自分の存在すらを否定されている気分になって毎週補習校に来るのが苦痛で、辛かったです。ちょうどその頃、長年のアメリカ生活のせいか自分の日本語がモヤモヤになっていて日本語よりも英語のほうが楽になっていた自分にイライラしていた部分もありました。でも今やめてしまったらきっと自分は日本語を忘れてしまう。そんな恐怖と、高校に上がれば変わるはずだと信じ、私は退学届けに触れることはありませんでした。
高校になってからは基本的に毎週楽しいようになりました。しかしまたしてもクラスが少し崩壊気味になったりして、いよいよ補習校に来ている意味が少しわからなりました。でもこの時の私には「真面目に授業がしたいんだ」という心があり、みんなにやる気がないのならとりあえず自分だけでもと思い好き勝手やっていました。半分当てつけのような部分もありましたが、とりあえず先生と友達になって、精一杯授業を楽しもうと心掛けました。
2年生になってからの補習校生活は最高です。正直、楽しすぎるくらいです。補習校は今や私にとってとても大切でかかせない場となりました。補習校は「私の世界を広げてくれる場」です。自分の母国語である日本語を使い学び、ありのままの自分でいられる場所です。
勉強にとどまらず補習校では大切な「人との掛かり合い」も学ぶことが出来ます。補習校に長年通っている人もそうでない人もわかると思いますが、補習校では出会いと別れの繰り返しです。小学1年生の時からこの補習校に通い続けている人数はごくわずかです。今クラスを見回しても、ほとんどの人はつい最近知り合った人たちばかりです。でもそんな中でも私達はみんな仲良しで、先生方ももちろん、とても良い人間関係が出来上がっています。これは私の「うちの補習校自慢」です。みんな仲良しであり、そして生徒にとどまらず先生方とも良い関係をもてます。戸塚先生を始め、北垣先生、佐藤先生、廣川先生、そして今回の交流学習をともにすることの出来なかった山本先生、北村先生、堀口先生、皆様に感謝したいと思います。そしてそんな場所に行かせてくれて、影からいつも私達をサポートしていてくれる両親にも感謝します。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
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ぃゃ、かなりこっぱずかしい。
わざわざ自分の親にも隠しているようなもんだからね。
どのみち読まれてしまったらしいけど。(爆)
でも真面目に何がそんなに良いのかわからない。
なんで先生たちはこのスピーチをそんなに気に入ってるの?
ただのお世辞?おだて?まじ意味不明だから。
誰かわかる人いたら教えて下さいよ。(爆爆)
このスピーチにかんして困った事;
今はさっぱりこんなこと思ってもないって事・・・。(爆)
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